神社と参拝
悟りとは、そんなに特別なものなのか
悟りという言葉は、すごいものとして語られすぎて本質が見えなくなっています。さとりとは差をとること。場のエネルギーと意識が重なった瞬間に、向こうから入ってくる現象です。
悟りとは、
そんなに特別なものなのか。
悟りという言葉は、
あまりにも“すごいもの”として
語られすぎている気がします。
そのせいで、
本質が見えなくなっている。
本来、悟り(シッディ)とは
超常的な能力や
成就の状態を指す言葉です。
お釈迦様は
菩提樹の下で瞑想し、
悟りを開いた。
これは日本でいう、
御神木の前に座し、
神がかりに至ること。
ミシャグジ信仰と
非常によく似ています。
さらに言えば、
倭姫命が鏡楠の前で長年座し、
神法を用いて霊力を高めていた話とも
重なります。
つまり悟りとは、
「場のエネルギー」と
「意識エネルギー」が
重なったときに起きる状態。
私はそう捉えています。
さとりとは、差をとること
ここで一つ、
日本語の言葉に
大きなヒントがあります。
「さとりをひらく」
さとりとは、
差をとること。
自分と他人。
自分と世界。
自分と宇宙。
その「差」をなくした瞬間。
「場」と「意識」の境が消え、
ア玉(頭)が
思いっきり開く。
黄色の宇宙エネルギーが入り、
人は悟りの状態に入ります。
苦行には意味がない
だからお釈迦様は言いました。
「苦行には意味がない」
なぜなら、
苦行は精神的に歪みを持たせる。
そもそも悟りは
努力で到達するものではなく、
条件が整ったときに
“向こうから入ってくる現象”です。
その条件に、
苦行はいらないのです。
では、苦行じゃなくて
どうすればいいのか。
結論はシンプルです。
全肯定で生きること。
・今を否定しない
今ある事は全て自分の幸せのためにある。
・過去を否定しない
過去あの事が幸せに必要だったから宇宙一幸せ。
・自分を否定しない
自分は素晴らしい人間だ。
・相手を否定しない
あの人も宇宙で一番の幸せになれますように。
・出来事を否定しない
良いことも悪いことも
全部自分の幸せに繋がる。
宇宙に守られている幸せ。
とにかく、
一切の否定をやめる。
これができている人ほど、
シッディに入りやすい。
シッディ瞑想のやり方
技術としては、
最近になってインドで確立された
シッディ瞑想などがあります。
やり方は、
まず呼吸を整える。
吸う息と吐く息の、
その一瞬の“間”にある
宇宙エネルギーに意識を向ける。
そして、
蜂の羽音のように
「んーーー」
眉間と頭蓋を震わせる。
「あーーー」
「ハムーーー」
阿吽に似た響きで、
満ちたエネルギーを探し入る。
実はこれだけでは駄目で、
愛の瞑想を
始めにプラスしなくてはいけません。
愛を呼び起こす瞑想です。
この先で分かれます。
シッディが来る人と、
来ない人。
来ない人はただ一つ。
日常の受け取り方を
全て全肯定にすることが
できていない。
だから苦行は良くない。
現代でも苦行を生活に入れて、
受け取り方が下手な人が
本当に多いのです。
これは現代版の苦行にあたります。
悟りはゴールではない
では、シッディ状態に入ると
どうなるか。
・深いクラクラした静寂
・頭が空間の中に消える
・空間との境界が消える
そして同時に、
宇宙エネルギーが
極太で流入する。
その瞬間。
・欲が消える
・他人を責めなくなる
・不満が消える
・完全に満たされる
日本語は面白い。
間が取れると、
魔が取れる。
悟りの状態になります。
脳波で言えば、
シータ波からデルタ波のあたり。
レム睡眠とノンレム睡眠の間。
私はそう捉えています。
意識が溶け、
自分と宇宙の境界が消える。
このとき人は
エネルギーそのものになる。
そして、ここが最重要です。
悟りはゴールではない。
例えるなら、
空っぽの体に
初めてガソリンが入った状態。
戸惑うかもしれないし、
無敵になった気持ちに
なるかもしれない。
でも、
初めて動けるようになっただけ。
ここからどう生きるかが
本番です。
神のエネルギーと、悟りのエネルギーは別物
もう一つの核心。
神道のエネルギーと、
悟りのエネルギーは別物です。
一見すると
同じように思うかもしれない。
でも、
紫のエネルギーと
黄のエネルギー。
全くの別物です。
・神と繋がる=外との接続
・悟り=内との統合
に見えますが、
実際は逆転しています。
神と繋がるエネルギーは、
外から入るエネルギーに対して
内を通して外に繋がる。
悟りのエネルギーは、
内の中に小さなエネルギーを探し、
内と外が融合した時に現れる
宇宙エネルギーにつながる。
つまり両者は、
構造と繋がるエネルギー体が
別ものなのです。
だからこそ。
・神エネルギーは「繋がる道」
・悟りは「溶け合う道」
神道と仏教が
相容れないことが多いのは、
同時に二つのエネルギーを
使えないからだ。
これが原因と思われます。
そして現代の問題点。
神道で神と会話できる人が少ない。
仏教で悟りに至る人が少ない。
やり方が正確に
伝わっていないだけだと思います。
だからこそ思うのです。
悟りとは
特別な人のものではない。
むしろ本来、
人が当たり前に持っているもの。
それをわからなくさせてしまった時代が、
長く続いていたのかもしれません。
差をとる。
すべてを肯定する。
瞑想呼吸を整える。
それだけで、
悟りエネルギーは流れ込む。
お釈迦様がやっていたことは、
実は誰でも再現できる。
私はそう思っています。
それが悟り=シッディ。
ありがたい時代です✨
最後にまとめます。
悟りとは、
差が消えたときに流れ込む
“エネルギー状態”なのだ。
神様と会話できる人を増やしたい。
悟りを我が物とできる人を
増やしたい。
ありがとうございます。
感謝してます。
この記事は にFacebookへ投稿した文章をもとに構成しています。